回航〜南紀白浜ー神戸

 モーターセーラーM号の回航を依頼されたK氏とその仲間が静岡県熱海を出港したのは8月23日の土曜日だった。

 当初、週半ばには神戸に到着するはずだったが、悪天候に苛まれ28日になって漸く和歌山県勝浦港へたどりついたところで乗員はK氏とF氏の2名に減っていた。

 私は「仕事が終わってから勝浦までは行けません、せめて白浜くらいならお手伝いに行けますが」とメールすると、翌朝K氏から電話が架かってきた。

「朝6時半に出港、白浜へ向かってます」

 私のためにわざわざ無理して白浜まで行くと言う。こうなったら行かないと仕方がない。なんという優しいK様。

 19:22天王寺発のオーシャンアロー29号とタクシーを乗り継いで白浜は綱不知桟橋に到着したのは午後10時だった。

 桟橋にはM号と日本一周中の『あさ風』、世界一周中の40フィートのC号、東京から四国の高松へ回航中のヨットと沢山停泊しているが、M号に人の気配はない。

 K氏に電話するとC号の中から着信音が聞こえる。そしてC号から外国人男性が出てきて「ウエルカム、カムオン」とか言うので私は「ないすつうみ〜ちゅう、そりい つう でぃすたーぶ ゆう」とか言いながら乗り込む。

 彼は世界一周中とのことで、すでに地球の殆どを回ってきていた。艇内にはK氏、F氏、ほか2名の日本人男性がいて、世界回航のスライドショーを楽しんでいたが、F氏は私を見ると「たんぽぽさん、よく来てくれました。これで私はここから電車で帰れます、家内から帰れコールが煩くて・・・」と言う。

 M号が白浜まで足を伸ばしたのは私のためではなく、F氏が帰れるように白浜まで来たわけであって、まんまとはめられたのであった。


 翌朝、雨。午前8時、もやいを解く。視界の悪い中を出港。窓が曇って前が見えない。


 さっそくコースを間違って暗岩だらけの危険な田辺湾内を彷徨い、ようやく外海に出た時は1時間が経過していたが、雨はやんで日も射してくれる。ここで、高松行き回航艇とお別れ。

 

 日の御崎まで向かい風10ノット、艇速4ノット強で走る。久しぶりの外海、透明感のある藍色の太平洋は美しい。

 日の御崎をかわすと風はまた真向かいにシフトし、20〜25ノットまで吹き上がり、おまけに逆潮で艇速は2〜3ノットまで落ち込んだ。波も少し高くなり、時々バウからスプレーが上がるが、腰の強い船で大波も柔らかく受け止め大きなショックは感じない。

 この時、お腹が痛くなり、トイレに入る。しかし、上下左右に大きく揺れて、まるでダイエット用具のジョーバに便器をつけたようなもので、とても用を足せないので早々に諦める。

 のんびり走りながら色々な話に花が咲く.。

 Bさんが数億円の家を建てた時に、仲間が見に行って、
「高い家なのにプールも無いのか」
と言うと、
「今度は冬でも泳げるように屋内プールにしました」
という返事だったとか、また
「仕事が忙しくて犬を散歩に連れて行けないので庭で飼っている」
という話を聞いた愛犬家が
「それはかわいそうだ。運動不足になる」
と抗議したが、その庭はその辺の公園よりはるかに広かったとか、貧民の私には想像もできない話が続く。

 あっというまに時刻は夕方になって、航海計画を考える。
「このままだったら、友が島水道で大潮の逆潮最大になりそうですね」
「そうやな、預かり物の船だし、無理しないで和歌山へ入ろうか」
 
 ということで和歌山マリーナに停泊。


「静岡から来られたんですか??」
邪魔臭いから
「はい、そうですよ」
確かに艇は静岡から出航してる。嘘ではないからいいだろう。

温泉から出るとK氏は
「飯に行こう」
「このままですか」
「そうや」
 かくして私は穿き替えたパンツを入れたビニール袋を片手に提げてタクシーに乗る。食事と酒、仕上げに和歌山ラーメンということでまたタクシー、そこからマリーナまで再度タクシー。

 恐ろしく高いラーメンになったが全部K氏のお世話になる。酔いが回っていたがパンツの袋は無くさずに持っていた。就寝、K氏は鼾が大きい、加えて大声で寝言を言う。こっちも大鼾で応戦しながら熟睡する。

 翌朝8時出港。天気は晴れ。午前10時過ぎには大阪湾に入る。視界良好。右に関西空港、左に淡路島を眺めて快走し、午後2時10分、須磨港に到着。

 ここでオーナーに艇を引き渡し、代わりにヤマハ25マークUに乗り換え、午後4時泉大津に向けて出港、この艇はエンジンの調子が良く、2GMのヤンマーエンジンは6ノット以上で艇を走らせる。

 夕日が、その高さをどんどん落として、夕焼けに染まる大阪湾をひた走る。横波を受け、時々上がる飛沫を頭から被りながらの航行。

 日没が先か、入港が早いかと競争する、大小様々な船は白、赤、緑の航海灯を点灯し、航路標識にも灯りが入る。遠い陸地の夜景が灯台光の判別を難しくする。

 泉大津沖でついに太陽は一瞬の輝きとともに没し周辺の雲だけをピンクに染める。午後6時50分、泉大津入港。

 近所の焼き鳥店でクーパー号の風助さんの祝勝祝いをしているというので合流して宴会。風助氏は先日の阿波踊りヨット―レースでクラス別優勝という輝かしい戦績を誇っているし、あちこちのレースで良い成績を挙げている。

 美味しい料理と酒、楽しい話にあっという間に時間は過ぎ、私は電車で帰宅し有意義な回航の旅を終えたが、K氏はここでヤマハ25を整備し、1〜2日休憩して、この艇で広島の自宅へと出港するというタフの見本みたいな人物。今度は連れていかれないように気をつけたのは言うまでもない。