瀬戸内海は干満の差が激しい。沿岸部に限らずチャートワークが大切だ。なんてことは失敗してから身にしみて分かる。
その日は天候に恵まれ、快晴の空の青さが海に染み渡っており、絶好のクルージング日和だった。海技免許を取って日が浅い私ではあったが、舵さばきも軽やかに水面を滑走しており、艇上の新米船長は、針路前方の安全確認に余念がなかった。
他船からは充分な距離があり、付近の『水面上』には何の障害物も無かった。クルーは1名。名ばかりのクルーで海上の開放感に誘われ、すでに一升瓶の焼酎を半分近く空けている。その彼が言った。
「なんか、前方の海の色が違うね」
「え、呑みすぎて目にきたんとちゃう?そんなことは・・・あった。危ない」
急旋回すると同時にエンジン中立。あやうく暗岩に乗り上げるところだった。よく見ると水面下ギリギリに平たい大きな岩が横たわっている。あのままの速度で乗り上げていたら、ドライブどころか船底ごと、もっていかれたかも知れない。
寸前で気が付いて良かったと、胸をなでおろす。こんな急ハンドルは免許取得の試験での”エンジン中立、右転舵”以来のことである。人命救助はお得意だったが、学科の方はきれいに忘れてしまい、航行予定海域の安全確認を全くしていなかった。あわてて海図を見ると、あるわあるわ暗岩だらけ。よく、こんな中を気楽に走っていたものだ。知らないということほど怖いことは無い。
その夜は瀬戸内の小さな島の漁港に舫いをとった。遅くまで反省し、酒がなくなったので、翌日の航海に思いを馳せながら眠りに就く。しかし、そう簡単に翌日はこなかった。
「おい、船が傾いているぞ。起きろ」
「浸水か、救命胴衣を・・・」
大騒ぎでキャビンから這い出してみると、係留索が短かすぎたのが原因で、潮が引いて船が岸壁から首吊り状態になっていた。
なんということだ。一日に2回も深度で失敗するとは・・・。
「どうしよう。もっと潮が引けばぶら下がってしまう」
「その前にクリートが壊れる」
クルーはそう言うと、ナイフでロープを切ってしまった。ブチッ。ガリガリというにぶい音とともに艇は岸壁の貝をこすり落としながら海面に落下した。無事?着水したものの、舷側にはひどい傷がついてしまった。
今度は少し沖に出してアンカーを打つ。底質は砂で、よく錨が効き、なんとか朝を迎えることが出来た。
しかし、悪夢はまだ終わっていなかった。今度はアンカーが上がってこない。何に引っかかったのかビクともしない。アンカーの素晴らしい把駐力に感心しながら、モニターラインをつけなかったことを悔やむ。この航海は後悔の連続だ。などとつまらないシャレが出る。そんな時クルーが言った。
「アンカーって高いの?」
この短い言葉には
「こんなことをしていてもラチがあかん。仕方ないからアンカーは諦めてアンカーラインをぶち切って、さっさと出航しよう」
という意味が凝縮されていた。私が
「待ってくれ」
と言った時には、すでにアンカーラインは切り離され、船は水に浮いているだけ。つまり、規定上”航海中”の状態になっていた。
海底のダンフォースに後ろ髪を引かれながら母港に向かう。数メートルのロープとブイを用意しなかったのが失敗だった。
これ以上問題が起こったらたまらない。さっさと入港するに限る。母港の防波堤に入った時には楽しかったというより、ほっとしたというのが正直なところだ。
さあ、着岸。エンジンスロー、後進。ところが行き足が止まらない。
「後進ギアが入らん。アンカーを・・・」
「アンカー無いよ。」
岸壁への衝突は避けられなかった。シフトケーブルの切断はよくある故障だ。入港作業の前にエンジン点検をしなければこういう結果を招く。決して漁船の真似をして岸壁の寸前で後進をかけて停止させていい格好しようなどとは、ゆめゆめ考えてはならない。
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