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  オーバーヒート


 ヨット界においても人種差別は存在する。諸外国のヨットクラブでは、黒人も、我々黄色人種も立ち入り禁止という部屋が厳然と存在する。ただし、ケープホナーは肌の色に関係無く、フリーパスとなる。という話は本編には何の関係も無い。

 激しい降雨の翌日、港口周辺の水面には様々な浮遊物があった。ゴミを押しのけて出航し、一路大阪湾を北へ進む。エンジン回転数2600。前日に上架し、船底清掃を終えたばかりの艇は8ノットで快調に波をかき分けている。しかしエンジン音が、やや高い。


「音が大きく感じるけど何でやろ」


と艇長。私は船尾に貼り付いて水面ぎりぎりまで身体を下ろし、吐水口を覗き込む。チョロチョロと流れ出たかと思うとドバッと冷却水が吐き出されているが普段と変わった様子は無いように思える。しかし、妙に湯気が多い。この日、気温は肌寒く感じられたが、そのため海水も冷えていて湯気が多いのだろうか。


 手を伸ばし排水に触ってみると、やや高温に思えるが、今までの順調な時に、こんなことをして排水温度を確かめたことが無いので、この温度が正常か否か判断出来なかった。私は、
「湯気が2メートル弱、尾を引いてる。排水温は・・このまま風呂に入れたら、ちょっと熱いかなという程度です」
と報告した.


何となく不安な気持ちのまま様子を見ていたが、運命の時は間もなく訪れた。
 ピ〜〜〜〜〜という音とともに、油圧及び冷却水温度警告灯が赤く点灯した。
「機関停止!」


 海上における怖いものの一つは火災である。なにしろ逃げる場所が無い。FRPは一旦火が点くと濡れていても燃えるし、火勢も強い。機関室からの出火は一大事である。
 艇は油を流したような無風状態の海面に停止した。港のテトラ護岸までは東へ1マイルあるかないかの位置だ。もっと沖を航るべきだった。幸い潮は北へ流れており、このままテトラへ流される危険は避けられたものの、無風で動きが取れない。事態は急を要する。

 直ちに機関室を点検すべく蓋を開けてみるが、以前パワーボートでインペラが故障してオーバーヒートした時のような白煙は見られず、極端にエンジンが熱い気配も感じられなかったし、オイルの量も規定どおりである。 
 艇長はあれこれ点検するが異常は認められない。


「わからん。何ともないわ。もう一度エンジンを回してみよう」
「はい、機関始動」
 始動スイッチを押すとエンジンは軽やかに回りだした。明らかに今までの音と異なり、低音の落ち着いた音に戻っている。

 想像の域を超えないが、出航時にゴミの中を通り抜けた際、小さな異物が吸水口に引っかかったものと思える。ために冷却水の流れが阻害され冷却効率に問題が発生していたが、停船しているうちに圧力が無くなり外れてくれたのであろう。
 自然に離れてくれる異物であったから良かったが、ビニールでも吸い込んでいたら事だった。

 しばらく後、私は再び船尾に貼りついて排水口に手を伸ばした。吐出されている水量は見た目には変化は無いが、温度は明らかに低い。
「これを風呂に入れたら風邪ひきます」
と艇長に報告した。

 奴隷船には試練が多い。クルーの落水から始まり、強風によるセールの破裂。あろうことか落雷の直撃を受け電装品への大損害を被り、あげくの果てにオーバーヒート。新艇で進水してからわずか一年半で、これだけの経験をした乗員は、今や乗組員は少々の嵐にも、トラブルにも負けない。とは言っても、何事にも対処出来るという意味ではない。

 何があっても平気と言うか、鷹揚に構えている。つまり平気でボ〜っとしている。艇長は怒る。
「ボヤボヤするな!アレもしろ、これもせい!」
 雨洗風磨。雨に洗われ、風に磨かれてクルーは成長する。